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一蓮托笑の写真展

娘の可能性を制限していたのは、私だった

 発達障がいのある娘のことを、本当の意味で信じきれていなかったのは、私だった。「いつ帰ってきてもいいように」との想いで、放課後等デイサービス『はらペコ』を立ち上げたと思っていたけれど、心のどこかで「どうせ無理だろう」と決めつけ、娘の先回りをして道をせばめていたのは私自身だった。「多分続かない」と娘の限界を作っていたのも、私自身だった。

 だからこそ、今度は「本気で娘を信じる」と決めた。その瞬間から、娘にも私にも、少しずつ変化が生まれている。仕事も人に任せられるようになり、些細なことで動揺もしなくなった。

 思えば、父が51歳で他界したことで「自分もいつ死ぬかわからない」と、どこか焦りを抱えていたのかもしれない。けれどもう焦らない。今私は感謝と決意を胸に、ここに立っている。

辻 幸子

Yukiko Tsuji

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