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荒木 周子

目の前の

波に乗り、 

生き抜いた

 31歳で離婚、2人の息子を連れ熊本に戻った。「シングルマザーは補助を貰っていいね」という同性の言葉に「自分は社会に迷惑をかけている」と頭を下げつつも、ただ懸命に働いた。

あるとき、子どものころ願ったケーキ屋になるチャンスが訪れ経営者になった。さらに3年後、介護事業の話が舞い込む。当時、早くに他界した母の代わりに私を支えてくれた祖母の介護に直面していたことで、何か意味があると直感、介護の世界に飛び込んだ。「大切な人が安心して暮らせるよう、寄り添いたい…」。祖母は、最期の1年を私の施設で過ごした。

直感で決めた介護事業は今年で15年目。私は目の前の波に一生懸命乗り、生き抜くことができた。

荒木 周子

Chikako Araki

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