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工藤 祥子

家を出て、 ようやく自由になった

 36歳のとき、6歳上の姉がスキルス性の癌で亡くなった。当時私自身も甲状腺を患い闘病していたが、我が子を看取り立ち直れない母を前に、自分の悲しみは抑え込むしかなかった。自分の感情を表現できない辛さ…。

私は、姉を亡くし感情を封印したこのころが、最もしんどかったように思う。母は次第に残った娘に執着、私の行動を監視するようになったが、ここでも『母の辛さ』に寄り添い、自分を封印した。転機は結婚。主人と出会い、40歳すぎて結婚し家を出たことにより、少しずつ母の執着は落ち着きを取り戻した。

そこからは良い距離感がうまれ、ようやく羽を広げ、自分らしく過ごせるようになった。いまは最高に自由を謳歌している。

工藤 祥子

Shoko Kudo

主婦

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