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倉住 満貴子

自分にしか、

できないことを

 両親は私が40歳のとき亡くなった。当時私は母に褒められるのが嬉しく、よくパンを焼いていた。末期癌の母が「満貴子のパンが食べたい」と最期に口にしたのは、私の焼いたパン。3か月後、父も病気で他界…さらに同時期、末娘の大病まで発覚。娘は手術で命をとりとめたが、私は心身共に疲弊し、上半身に帯状疱疹ができた。

落ち着きを取り戻したころ「母があんなに喜んでくれたのだから」と、自分が一番情熱を傾けられることへの挑戦をはじめた。

そこから10年、「私にしかできないパン作りで喜んでほしい」と、酒種酵母のパン教室を開講。いまもパンを焼くたびに、大好きだった母が「美味しいね!」と喜んでくれた笑顔を思い出している。

倉住 満貴子

Makiko Kurazumi

酒種酵母パン教室 こいちゃ

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